あれから30年。甦る1990年ワールドカップ イタリア大会の記憶【その2】
1990年ワールドカップ イタリア大会からちょうど30年たったということで、当時の大会を振り返るシリーズの2回目です。
今回はオランダ、ソ連、ブラジルを。
優勝候補(と思っていた)オランダ、予想外の不振
この大会で、オランダは優勝候補の一つだと思っていました。
2年前のEURO西ドイツ大会で優勝し、フリット、ファンバステン、ライカールト、クーマンを中心とした優勝メンバーがそのままいたからです。期待しないわけありません。
ところが、初戦のエジプト戦からずっと様子がおかしい。
ファンバステンが、相手のマークがきつかったのか、あまり機能せず。
本来だったら決めていたであろうチャンスを逃したり。
今のサッカーで言えば、「レヴァンドフスキが絶不調なバイエルン」みたいな感じでしょうか。
グループリーグで全試合引き分けという、珍しい結果。しかも、同組のアイルランドも。
3位でどうにか決勝トーナメントに上がったものの、1回戦の相手が結果的に優勝した西ドイツでした。
オランダは2年前のEURO準決勝で西ドイツに勝っていたので(しかもアウェイで)、今回も勝てるんじゃないかと期待していたのですが、不調のファンバステンがユルゲン・コーラーに封じられましたね。この2人のマッチアップは見応えがあって面白かったですが。
勝敗を分けたのは、試合前半の退場だったかと。ライカールトがルディ・フェラーと小競り合いになって一緒に退場になりましたが(喧嘩両成敗ってことでしょう)、「フェラーのいないドイツ」より「ライカールトのいないオランダ」の方がダメージ絶大でした。あれは本当に残念でした。
初戦で終わったソ連
90年大会のソ連を取り上げる人はなかなかいないでしょうけど(苦笑)、2年前のEUROファイナリストということで開幕前は期待していました。しかも、当時は世界最高のGKと言われていたリナト・ダサエフがいたので、GK好きな私としては注目チームの一つでした。
が、初戦のルーマニア戦で実質終わりましたね…。
ダサエフは2戦目以降、控えGKにポジションを譲ってそのままフェイドアウト。
ソ連自体の崩壊とともに、サッカーソ連代表も衰退したように感じました…。
マラドーナ一人にやられた(?)ブラジル
ブラジルも優勝候補の一角でした。
ていうか、当時は優勝候補筆頭だと思っていました。
スタメンにGKタファレル、DFはヒカルド・ゴメス、モーゼル、ジョルジーニョ、ブランコ。中盤にアレモンとドゥンガがいて穴がないように感じていたし、ホマーリオ、ベベト、アウダイール、マジーニョがベンチという層の厚さでした。
グループリーグでも、圧倒的ではないにしてもしっかり3連勝していたので盤石だと思っていました。
当然決勝トーナメントでも、1回戦のアルゼンチンには勝つだろうと思っていました。
試合も予想通りブラジルが圧倒的に攻めていて、ポストやバーに嫌われなければ3点ぐらい取ってもおかしくない試合でした。
結果的にマラドーナ(とカニーヒア)を止められなかったことで敗退してしまったけれど、この時のブラジルで一番残念だったのは、やっぱり「10番」。
シーラス。しかもケガでフル出場できず…。
セレソンの歴代で最も地味な10番ではないかと(苦笑)。
まだつづく
全部で4チーム書きましたが、まだ終われません(笑)。
当時応援していたイタリアもあるし、他にもまだまだ。
明日以降につづきます。
書いた人
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スポーツを見るのも好きなトレーニングジャンキー。サブ3.5を目指す(あと2分ちょっと…)自称中級市民ランナー。
見る方では、海外サッカー、マラソン、トライアスロン、格闘技全般、NBA、ラグビーが主な守備範囲。テニスもMLBも陸上競技も好き。
公認会計士 税理士
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