「実体験が共感を深める」を改めて学んだ

学び,日常の出来事

共感ができること、あるいは共感力というのは、人間関係を構築する・より深めるうえで重要だよなぁと思っているのですが、同時にその共感なり共感力なりを持つためには、同じような経験・体験を自らしていることが何よりだと思っています。

 

それを改めて感じることがありました。

ランニング中に(苦笑)。

 

 

「張り」「違和感」

私が長年「なんじゃそれ?」と思っていたこと(ものすごくある)の一つに、

 

「○○選手が□□の張りを訴えて練習を休んだ」

「△△選手が□□に違和感を訴えて途中降板した」

 

といった「張り」や「違和感」があります。
プロ野球のニュース記事などでよく見かけます。

 

「張り」とか「違和感」っていったい何なんだ?

ものすごい連続出場記録を持つ選手もいるのに、この選手はそんなにデリケートな身体なのか?

などと、失礼ながら思っていました。

 

「張り」や「違和感」がどのぐらいのレベルのものか分からないし(実際本人にしか分からないだろう)、具体的なケガに至っていない状態なのになぜ? というのがあったからです。

 

「違和感」というと、言葉のイメージから超軽症のように思いますし、「張りがある」というと、「だからどうした?」とも思います。どんな感じ・状態なのかが分からないので。

なので、「張り」や「違和感」という言葉を見るたびに「おいおい…」なんて思っていました。

 

コレか!

そんなふうに思っていたのですが、「コレのことか!」と思うことがありました。

 

ついこないだ朝6時台に(暑いので…)ランニングというかジョグをしていた時のこと。

10km過ぎたあたりから、右ふくらはぎに「ピシッ」という感じの「張り」のような「違和感」が来ました。
(「違和感を感じた」と書こうと思ったけど、「頭痛が痛い」に通じるものがあるので表現を変えました(^^))

 

即座に「あっ!これは無理して走るとヤバそうだ。肉離れか攣るか、どっちかになりそうだ」と判断してスローダウンしました(すでにジョグペースでしたが、よりペースダウン)。

 

「まいったな。疲れかなぁ?こんな感じじゃあ、しばらく負荷をかけたトレーニングは厳しいな…」

などと軽く動揺していたのですが、同時にふと

 

「あっ!!張りとか違和感って、こういうことなのか!!」

 

と思いつきました。

 

言語化するならば、

 

「痛みやしびれ、力が入らないといった具体的な症状が出るには至っていないけれど、これ以上よいパフォーマンスが出せそうになく、無理して続けようものなら症状が顕在化しそうな状態」

 

という感じでしょうか。

 

そう思った瞬間、

「あぁ!コレじゃあ選手は休むよなぁ」

と急激にシンパシーというか共感を覚えてしまいました(苦笑)。

 

でも当然ですが、もしかしたらプロ選手は違うものなのかもしれません。
そもそも競技レベルが明らかに違うので(苦笑)。

 

経験や体験は重要

スローダウンしながらそんなこと(↑)を思ったので、

「経験とか体験って重要だよなぁ。自分が身をもってしないと分からないことって、あるよなぁ」

などと改めて感じました。

そういえば、ぎっくり腰や肩こりを経験した時などにも同じようなことを感じました。

 

これからは「張り」や「違和感」を訴える選手に対して「なんじゃそれ?」と思うことはないでしょう。

むしろ、

「あぁ、それはコンディション良くないよ。休んだ方がいいよ」

と思うことでしょう。

 

まだまだ学ぶことがたくさんあるぞと思った真夏の出来事でした(笑)。