ランニングできないのでランナーの本を読んだらモチベーションが激増した

ランニング、マラソン

先日のレースで脚を痛めてしまい、痛みが治まるまでランニングを休むことにしたので(再発がコワい)、その時間を利用して以前購入していたウルトラランナーの本を読みました。

この本がめちゃめちゃ面白く(著者のランナーがぶっ飛んでいて)、「また早く走りたい!」という衝動に駆られました。

 

 

『ウルトラマラソンマン』

読んだのは『ウルトラマラソンマン』という、ディーン・カーナゼスというランナーが書いた本です。

30歳の時にとあるきっかけで15年ぶりにランニングを始めてから超長距離ランを目指すようになり、100マイルレースや有名なバッドウォーター・ウルトラマラソン(距離約217km!)、南極マラソン、さらには199マイル(約318km)のリレーマラソンを単独で46時間ノンストップで走るという、ぶっ飛んだ人の自伝。

自分のランニングとは次元が違いすぎて、共感よりも「スゲー…」という驚きが多かったですが(笑)、ストーリーの中に時々出てくる言葉がグサグサと自分に刺さりまくりました。

一部ですが、こんな言葉が響きました。

簡単にできて必死の努力を必要としないなら、まだ頑張りが足りないということだ。本気でやれば、死ぬほど苦しいはずだから。

 

勝者になるということは、状況がどんなに困難でも、可能性がどんなに低くても、諦めずにやり遂げることを意味する。もし自分にフィニッシュラインを越える勇気とスタミナと粘り強さがあれば、勝者になれる。

 

近代社会で人類は望むものを全て手に入れたが、それでもまだ満たされていない。「もの」は幸福をもたらさない。
ソローは「人間の豊かさは、何も持たずに何ができるかによる」と言っている。おそらく欲するものが少なくなればなるほど、多くを得るのだ。

 

「もし気分が良ければ、どこか間違っているんだ。本当はものすごく痛いはずなんだ」

 

「レースのこの段階では、DNFは“Did Not Finish(棄権)”じゃなくて“Did Nothing Fatal(無理はしなかった)”さ」

 

「もし走れないのなら歩きなさい。歩けないなら這ってでも進め。やるべきことをやりなさい。前に進むんだ。決して諦めるな」

 

自分をそんなに苦しめるなんて正気でないと、誰もが思う。でも僕らはどこかの時点で、快適さを幸福と取り違えてしまったように僕には思える。僕は、その正反対なのだと信じ始めていた。
「苦痛は意識の唯一の起源である」ドストエフスキーの言葉は正しい。苦痛が始まると、感覚が研ぎ澄まされる。苦しみにこそ、幸福に至る秘密が隠されているのだ。

 

ある程度の距離は足で稼ぐことはできるが、25年前ベナーコーチが言ったように、それ以上は気持ちの問題だ。人間の身体は驚くべき潜在能力を秘めており、自分で設定した限界を取り払って内面の火を灯せば、可能性は無限だ。

 

多くの人はそこに辿り着くことはない。大変なことをやるのを嫌がっているのか、臆病なのか、負荷が一番少ない楽な道を選んでしまうからである。でも僕に言わせれば、苦しんで頑張ることが意味ある人生につながる。自分を常に駆り立てながら、前に進みながら、学んで成長するべきだ。自分が居心地の良い狭い範囲を超えなければ、無意味な存在に甘んじることになる。素晴らしい人生の道を歩めなくなってしまう。

 

「墓に入る時は無傷のきれいな身体ではなく、使い果たし、疲れ果てた体で『最高だった』と叫びながら、滑り込みたい」

 

まだ走れないのに走りたくなった

とんでもない次元の話なのですが面白くてどんどん読み進めてしまい、すぐにランニングを再開したい気持ちになりました。

まだ走るわけにはいかないのに(苦笑)。

 

今の自分はハーフ~フルマラソンがメインですが、マラソンで「やり切った」と感じたらその後はウルトラマラソンに挑戦するのもいいかも、と思いました。

 

本を読んだ後YouTubeで検索してみたら、ディーン・カーナゼスが全米50の州でフルマラソンを50日間で走ったというドキュメンタリーの動画がありました。

これを見てさらにランニングへのモチベーションが上がりました。

まだ走るわけにはいかないのに(苦笑)。