あれから30年。甦る1990年ワールドカップ イタリア大会の記憶【その5(終)】
つづきです。
ダラダラ続けるのもアレなので(笑)、今回が最終回。
最後は当然(?)イタリアです。
「一発屋」と「ファンタジスタ」
私がイタリアを応援するようになったのは、ワールドカップではこの大会から。開催国だったこともあり優勝候補だと思っていました。
結果的に見ても、優勝してもおかしくなかったと思っています。
大会前からイタリアの守備に不安はありませんでした。
GKはゼンガ(しかもサブにタッコーニとパリュウカ)、DFはバレージとフェリがCBで右にベルゴミ、左にマルディーニ。盤石だなと。
他方で、攻撃陣に少し不安が。
ヴィアリとマンチーニが2トップのスタメンだったけれど、当時はまだ「この2人が必ずやってくれるだろう」という感じでは見ていませんでした。
82年大会のロッシのような「一発屋」(苦笑)が出てこないと0-0の試合が複数あるかも、とも思っていました。前回の86年大会にそんな選手がいなかったし。
そんなことを思っていたら、初戦のオーストリア戦で現れました。
サルバトーレ・スキラッチ。
後半途中から入ってきて、ファーストタッチのヘッドでゴール。
衝撃すぎて、生中継を見ながら「なんだツィミは?」じゃない、「なんだコイツは?」と喜びと驚きを感じたものでした。ただ、その後も活躍して得点王にまでなるとは夢にも思っていませんでした(笑)。
決勝トーナメント1回戦のウルグアイ戦でのショートドライブシュートも驚きでした。つま先近くで強く当ててタテ回転したのだと思っていますが、あんな近距離でエゲツない落ち方をしたのはなぜなのか(しかも当時のボールで)、未だによく分かっていません…。
得点シーンを見ていると、イングランドのプラットもそうでしたが、スキラッチも本当にいいポジションにいました。「ごっつぁんゴール」とも言えるかもしれないけど(笑)、それを大会を通してやるというのはなかなかできないことです。前評判の高い実力者が大事な大会で不発なこともよくあるし。
この大会はロベルト・バッジョがスターになった大会でもありました。
当時はスタメンではなく、「ローマの王子様」ジュゼッペ・ジャンニー二がスタメンでした。バッジョの名前は知っていたし、見てみたいと思っていたけれど、あの大会前はジャンニー二の方が格上だったので、ベンチなのは仕方ないなと思っていました。
ただ、98年フランス大会でもそうだったけど、交代出場してそこでしっかり活躍するのが見事というか何というか。
スキラッチが4年後も活躍するとは思っていなかったけれど(苦笑)、バッジョには期待していました。
(そして4年後に見事に応えてくれました)
無失点記録更新と「3大会連続PK負け」の1回目
この大会のイタリアは鉄壁でした。
ヴィチーニ監督が元々守備に重きを置いていたこともあるでしょうけど、準決勝後半途中まで無失点。今も残るワールドカップ1大会での連続無失点記録を残しました。
見ていて面白さは感じにくかったかもしれないけれど(苦笑)、当時高1だった私はけっこう楽しめました(笑)。
90年代のイタリアというと、残念ながら「PKに弱かった」というイメージも強いです。
90年、94年、98年とワールドカップ3大会連続PK戦で敗退したので。
イタリアを応援している身としては、悲しいやら悔しいやら(苦笑)。
3回連続の1回目となったこの大会は、相手と場所が悪かったかも。
前の試合でもPK戦で勝ったアルゼンチンだったし、GKゴイコチェアがPK戦で冴えまくっていたし。
イタリアはホームだったことで、かえって緊張で硬くなってしまっていたかもしれないし。
準々決勝まで「優勝できる!」と思っていたので、残念でしたね。
「この後変わった」2つのこと
今になって振り返ってみると、イタリアは「この大会の後に変わった」ことが2つあったなと。
・背番号が完全なポジション別アルファベット順ではなく、例外ができるようになった
(最初の例外は、94年大会のバレージの「6」とバッジョの「10」。その後、02年大会にアルファベット順が廃止)
・イタリア代表エンブレムのデザインが変わった
(その後00年大会でまた変わる)
なんで変わったのかは知りません(笑)。
あの頃は若かった…
30年前を振り返って思うのは、
「あの頃は若かったなぁ」
ということです(笑)。
30年前は多くの試合をBSの生放送で見ていたし、時間的に見られない試合はビデオ(当時はテープだった)で録画予約していました。同じ試合を何度も繰り返して見るのも、この頃は当たり前でした(最近はアレですが(^^;))。
おかげで当時の高校の期末テストの成績がアレでしたけど(苦笑)、それも含めていい思い出です。
そのうち、また節目を迎える他の大会も振り返ってみようかな。